私たちの想い

つながり×うごく×ひろげる

 4年前の3月あの大震災の直後、地平線まで見渡すかぎりに埋め尽くされた瓦礫を眼にした時、私達は何を想ったでしょう?
 圧倒的な自然の力を前にした無力感、そしてそれとは裏腹の何かをしないではいられないという止むに止まれぬ衝動、これ程私達の世界観を揺さぶった出来事はここ数十年間皆無であったと思います。

 月日は流れ、街を埋め尽くしていた瓦礫は殆どの被災地から消えました。
被災地で生まれた災害ボランティアのネットワークは着実に我が国に根付き、今では各地で自然災害が起こるたびに束の間の時間を共有して誰かのために汗を流す人々が現場に集います。
 私達の社会は数えきれないほどの大切なものを失ったのちに、かけがえのない何かを生み出すことになったのかもしれません。

 一方翻って豊かな社会の一員とされる我が国は、多額の資金を復興支援に当てることができる反面、不可逆的に進むかに見える少子高齢化という問題に相対さねばなりません。
 進みゆく過疎化とコミュニティの再生、これらの問題は被災地のみならず人口減少が進む我が国では共通のテーマとなっています。
 震災後の被災地は奇しくも、日本全体が相対するべき問題の縮図として我々の前に立ち現れているようにも見受けられます。

 IT技術は人間の記憶を扱います。人々の記憶は巨大なネットワークに回収されてデータベースとして蓄積される一方、コンピュータのアルゴリズムに自動的に処理されて再び我々の顕在意識に舞い戻ります。そう、現代の私達の意識はちょうどネットワークの海に浮かぶ小さな孤島のようなものなのかも知れません。

 震災から時を経た現在それを巡る私達の記憶は、ともすればステレオタイプの言説に回収されてネットワークの海に何時しか消えていくようにすら思えます。震災の風化と呼ばれる現象はそのようなものとして起こるものなのかも知れません。しかし今我々が被災地について語るべきことは常套句による何かではなく一人ひとり違う想い、そしてそれらが依って立つ被災地の現在<いま>ではないでしょうか?

復興支援においてはそれに関わった人の数だけ想いがあります。その想いを繋げること、決して簡単には語り尽くせない想いをひろげていくこと、これが震災後の現在<いま>を生きる私達が果たすべきことなのではないかと思います。
 この「ITx災害」があなただけの想いをつかの間でも共有し、語り合う場所となり得ることを願って止みません。